創立から35周年+1周年を迎えた、演劇集団「激弾BKYU」の看板俳優、小林博さんと、激弾BKYU舞台作品の熱心な観察者、喜納辰洋さんが、春の昼さがりに行った熱き魂の対話は、3時間にも及びました。お互いの言葉に共鳴し合いながら、それぞれの心の中から溢れてきた、思いがけない記憶も飛び出します。

 折しも激弾BKYUは、昨年コロナ禍で中止となった35周年記念公演を、+1周年記念公演としてこの9月に上演。長かったこの一年の中で改めて「表現すること」について思い巡らすようになった小林さんと、精神障がい者の地域活動支援の場で、多様な「心の動き」と向き合う日々を送る喜納さんの、トークセッション。

 ふたりと共に「心の迷路」を辿りながら、あなたにとっての「表現すること」にも思いを巡らせてみませんか? 

(全7回の連載となります)

構成/いろプロ堤

第1回 ●第2回 ●第3回 ●第4回 ●第5回 ●第6回 ●最終回


3. 「普通」ってなんだ

小林:コロナでね、やっぱ俺もスゲー落ちて、自分のいままでやってきたことを全部否定するくらいになっちゃって。

っていうのは、緊急事態宣言があって、でも経済も回さないとコロナにかかる前に人が死ぬよとかっていうところで、医療従事者の方たちが前線で頑張ってくれて、そこに俺らが、なんにも関われていない、っていうふうに思えちゃって…

なんだったんだ、いままで俺たちがやってきたことって、そりゃあ金もねぇーよと言いながら、いやいや、みんな芸術は大切だろう?みたいなこと言ってやってきて。

でも、コロナの世界になったときに、何言ってんだお前たち、いま、お前たちがそれをやることによって、どんどんコロナが蔓延してしまったら、みたいなことにもなって…

 

だけど、去年、35周年記念公演がコロナで中止になって、俺らみんな弱気になってた、そのとき酒井さんだけが何かやろうぜって言ったの。せっかく劇場は借りてるんだからって。

それで、動画配信の「ソーシャルディスタンス・グレモモを、撮った。

そこでバーンとやったときに、わあ、俺たちここでやっぱり生きている人間でしょっていう、「俺が生きるためのエネルギーって、これなんだ」っていうことに気づいた。

やっぱり、No.0のセリフを大声で言って、演じて、生きるエネルギーが湧いた。

で、その、コロナで落ちながら、よく考えたのが「普通ってなんだ」っていうこと。

喜納君が言ってた、障がいを持った人が「普通」になりたいけど、彼らなりに閉ざさなければ生きていけない。で、彼らは、いま、社会が流れるような時間に合わせての動きができないから、障がい者という枠に入れられている。

でも、俺らとかも、実はそれが見えづらいだけで、普通の人と違うから、ある意味、一緒だから。

ちゃんと働かないでっていう言い方は変だけど、この、芸術だけを、俺やっていて、嫁にも迷惑かけて、それにあぐらをかいて、いや、あぐらはかいてもいないんだけど(笑)そんな生き方をする人って、ねえ、人に迷惑かけながら。だから、俺たちは俺たちでやっぱり偏っているから。

 

「普通」というのがもうおかしいんだよね、誰かが決めただけだから。

だから、みんな個性でいいんだよ、ほんと。

 

喜納:要は、少数派っていうのはそもそも異端ですから。

 

小林:そうそうそう。

 

喜納:僕思うのは、さっき言った、自分の人生を生きるっていうのを考えていったときに、ある意味、いったん、そこで、なんかうまくいかないからこそ、無理やり立ち止まらされてるところがあるわけですよ。どう生きたらいいんだっていう、普通に生きられないし。

逆に言うと、「普通に」を普通にできたりとか、普通以上にできたりする人たちっていうのは、なんていうか、立ち止まるきっかけを持たないまんま、俺は何をして生きるんだ、何をしているときが俺は生きているんだっていうことを、もしかしたら考える暇なく進んでいくかもしれない。

 

小林:なるほど。

 

喜納:昔、すごい面白いおじさんたち、60代70代の常連さんが支配している居酒屋があって、僕はそこの常連になって、仲良くなるんだけど。そこで仲良く飲めるおじさんたちっていうのは、肩書き関係なく飲めるわけですよ。肩書きだけで言ったら、すごい人もいっぱいいるんだけど、そういうの関係なく飲んでるわけですよ。で、こっち来なよとかいって奢ってもらったりしながら、もちろん、僕は先輩たちを敬っているけど、でも、肩書き抜きに、フラットに関わる人たちの中に、何人か「あ、ちょっと、この人たちつまんねーな」って浮いてる人がいて、そういう人は、肩書きが飲みに来ている。あとは、みんながいろんな話題でわーって盛り上がっている中で、僕に説教を始める人(笑)その人は関わり方として、自分より下の人間に説教するという関わり方しかできない。

 

小林:もうね、いまの、そのね、浮いているように見えた人たち、ポジションとしてグレイッシュNo.1とNo.2ですよ(笑)。

喜納:なるほど、そうですね(笑)面白い居酒屋だから、そういうときは奥からマスターが出てきて「あんたねえ、そんなことやって若いこの人に説教して…」って説教する(笑)

ま、それは、やっぱり、年上年下っていう力関係の中でしかコミュニケーションできなかったり、肩書きで生きてきちゃったから、その肩書きを外しては輪に入れないっていう。

長年そのかたちのままうまくやれて来ちゃったからこそ、人とフラットに話すことができないままとか、開くっていうことを考えもしないとかっていうパターンはけっこうあると思う。

 

小林:うん、そうだね、確かにね。

 

喜納:さらに言うと、生きづらさを抱えている人たちの中でも、本当は自分は何をしたいんだろうとか、自分らしいってなんだろうっていうことを考えていく人もいれば、どうやったら「普通に」になれる、なれないっていうことの呪縛で、ずーっと、もがいていく人がいて。

みんながみんな、うまい具合に立ち止まって、うまい具合に自分が生きる時間っていうのを捕まえられるかどうかわかんないけど、もう、障がいがあろうがなかろうが、社会的地位が高かろうが低かろうが、自分が生きる時間、瞬間っていうのを大事にできる人もいれば、なかなかそういうきっかけを掴めないままいっちゃう人も、老若男女、障がいの有無関係なくあるだろうなっていう。

 

小林:まさにそう。たぶん、そこで、ちゃんと仕事もできて、で、それを仕切れる自分のポジションがあって、そこはやっぱ、否定はしちゃいけないわけよ、もちろん。

でも、「振り返ってみろ、過去の自分を」っていうあのセリフ「できないだろう!?」っていうNo.0に対して、そこで詰まってグレイッシュたちの言葉がでないときに、スッと思うのだよね。たしかに私は何をしていたんだろうかと。

最初に、No.0が言うじゃないですか、「彼女の記憶には残らないだろう、我々はそうやって仕事をしてきた」誰にも記憶を残さないと言うのは、思い出をつくることをせずに生きるということなのかもしれないですね。

 

喜納:よく思うのは、なんぼ財産作っても、結局、墓に持っていけないじゃない。で、自分が死ぬときに、やっぱり「そういう生き方しとけばよかった」じゃなくて、「ああ、俺、やっぱり、これがやりたくて、こうやって、まあ、完璧とはいわないけど、まあまあやりたいことやったな」みたいな死に方ができたときに、充分生きたみたいなことになるんじゃないですか。

 

だから、No.0が消滅していくときの消え方っていうのは、グレイッシュにとってどれくらいの時間軸かわからないけど、最後の最後の、この瞬間に初めてワーって生きて、そして消えていくっていう。

 

小林:うん、そうだよね。だから、俺はね、酒井さんにたぶん言われたことあると思うんだけど、最後に消えるときに、ヒロシのその笑顔を残したいって。

それまでは、まあ、苦悩しているからっていうのもあるけど、笑ったりっていうのは、あんまりしてない感じだけど、でも、最後の最後「また会おうね」のあとに、こう、バーって笑って行く。

ま、ほかのグレイッシュたちもそうなんだけど、その「充分生きた」という言葉につながるよね。いやーいい人生だったっていう笑顔になってるとこだもんね。

だから、これで良かったっていうよりも、なんか、ほんとに最後、グレイッシュたちが何かをわかって、良かったわーって、ね、それで手を振って、じゃーねーっていう。

 

No.0を最初、演じ始めてたときって、先輩グレイッシュたちにゼロが初めて強く言う、「振り返ってみろよ」っていうところで、正義感みたいなものが出すぎちゃった気がしたんですよ。「そうじゃないよ」「違うじゃん、キミたちは」みたいな(笑)。

それは違うなってすごく思えてきて。なんかNo.0が消えずにいられたのって、やっぱり先輩たちのお陰じゃない?自分は取ってこられないのに、先輩が取ってきてくれた時間の葉巻吸わしてもらって、それに対して、あんた違うよ、ハアー?みたいなことじゃん(笑)。

そういうことじゃないわけよ。だから苦悩もあった。そんなねえ、「葉巻没収!」って言われて、没収って、もともと自分の持ってきたもの無いのにさ(笑)そう思いながらも、でもなあ、なんか違うんじゃないかなって、だから、そういう状態での、「諸先輩たち、ごめんなさい。でもちょっと違うんじゃないかな、と思うんですけど」っていう心情で。

 

喜納:うん、正義の味方というんじゃなくてっていう。

 

小林:そうなのよ。だって、それで、人間たちを無理やり連れて行ったわけじゃなくて、彼らがそれを望んでいる部分もあったわけだし、「その通りです、そうですそうです。だけどこのままだとやばいですよね」っていうことを、「なにい?」って言われて、「すいませんでした!」っていうだけだった子が、「いや、でも、モモちゃんは違うんですよ。もっといっぱい楽しい時間を持ってるんですよ」っていうようなことを初めて言う。

なんか、誰でもちょっとそういう機会あるじゃない。ここで黙ってたほうがいいかなのときに、でも、ちょっと勇気出してっていう、これができるかどうかの、大切な部分なんじゃないかな。

それは舞台だから、ちょっと劇的にああいうふうにはなるけど。

そういう気持ちじゃなければ、ちょっとNo.0という人物ではないなっていうのをいつも思ってますよね。

 

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小林博●こばやしひろし プロフィール

神奈川県出身。激弾BKYUの看板俳優。

激弾BKYUが2000年に上演した「HAPPY」での客演を経て、2002年「そろそろ月に帰ろうか」で正式メンバーに。多くの作品で主演を務め熱いエネルギーとペーソスあふれる演技で観客を物語へ引きずりこむ。

そんな彼に弾長から与えられたキャッチフレーズは「愛すべき情熱の空回り」。

ちなみに、40歳からスタートした毎日更新されるブログ「から回ってポン!」は今年で10年目である。

現在は舞台を中心にしながら、映画・TV・CFなど、映像の仕事でも活躍中。

激弾BKYUオフィシャルサイト

小林博ブログ「から回ってポン!」

所属オフィスJFCTオフィシャルサイト

 

喜納辰洋●きなたつひろ プロフィール

精神障がい者地域活動支援センター「喫茶ほっと」施設長、NPO法人たかつdeほっと副理事長・事務局長。

沖縄県出身。明治学院大学文学部心理学科をギリギリの成績で卒業後、東京都内の精神障害者施設に勤務するも、職場の方針や人間関係に悩み鬱病・不安神経症を発症し退職。療養期間を経て、2000年より現在の「喫茶ほっと」に勤務し、精神障がい者の相談業務、地域生活支援、心理教育、当事者研究に携わる。

2010年鬱病を再発するも、約2ヶ月の療養後、現職に復帰。

自身の体験も踏まえた当事者支援は、通所するメンバーからも信頼と温かい目で見守られ、支援者と利用者の敷居が見えない「喫茶ほっと」の独特の雰囲気を作っている。

通所メンバーと共に続ける「当事者研究」は、他施設や医療関係者に広がり、現在は講師や出張研究会、製薬会社や病院等との共催研修会も行なっている。

二児の父、趣味は古武道・古武術。

地域活動支援センター「喫茶ほっと」オフィシャルサイト

 

*「喫茶ほっと」は、いろえんぴつプロジェクトのクリエイティブパートナーとして、いろえんぴつプロジェクトのさまざまな企画にご協力いただいています

▶︎「まちの喫茶店がみんなのスコレーになる日 HOT de schole!」

 

イラスト/たけだいくみ

協力と写真提供/激弾BKYU (撮影/巣山サトル)

     地域活動支援センター「喫茶ほっと」(撮影/大久保雄介)