創立から35周年+1周年を迎えた、演劇集団「激弾BKYU」の看板俳優、小林博さんと、激弾BKYU舞台作品の熱心な観察者、喜納辰洋さんが、春の昼さがりに行った熱き魂の対話は、3時間にも及びました。お互いの言葉に共鳴し合いながら、それぞれの心の中から溢れてきた、思いがけない記憶も飛び出します。

 折しも激弾BKYUは、昨年コロナ禍で中止となった35周年記念公演を、+1周年記念公演としてこの9月に上演。長かったこの一年の中で改めて「表現すること」について思い巡らすようになった小林さんと、精神障がい者の地域活動支援の場で、多様な「心の動き」と向き合う日々を送る喜納さんの、トークセッション。

 ふたりと共に「心の迷路」を辿りながら、あなたにとっての「表現すること」にも思いを巡らせてみませんか? 

(全7回の連載となります)

構成/いろプロ堤

第1回 ●第2回 ●第3回 ●第4回 ●第5回 ●第6回 ●最終回


6. 少年の勇気、捉われからの解放

小林:俺は、あの、チャップリンとの出会いがデカくて、小さい時の。うん。

 

喜納:へえー。

 

小林:そうなの。自分は、ちょっと苦手だったんですよ、実はその、人前で何かやるっていうのが。ちょうど、赤面症になって、授業で指されても真っ赤になって何も言えなくなるみたいな…低学年の時だったかな。

で、その時に出会ったっていうか、見たのがチャップリンで。

「うわー、なんて素敵なんだろう。あんな、自分をコケにするような感じで、こんなに笑わせてもらって、感動もするようなものを、世界中の人が見て、笑って」っていう。小さい時見たんだけど。

 

チャップリンが、最後に「素晴らしい人生だった」って言って、亡くなるっていうのも、すごく、心に響いて。

 

喜納:そんな時期が、小林さんに。

 

小林:あったの。でね、なんかね、そこで、なんて素晴らしいな生き方なんだというか、憧れ。

 

俺、ちっちゃい時は、なんか、ワイワイやるタイプだったんだけど、だんだんと自分を取り巻く世界が広く大きくなってきて、他人を意識するようになって。たぶんそのあたりから赤面症みたいになって。で、なんか、学校も早退とかしたり、あんまり行かなくなってた時期があったらしいんだよね。

神経質になって、唾が飲めなくなったりとか、自分の中でいろんな決め事を作っちゃって、もう、ご飯粒にちょっと黒い点があったら、これ食べれねえ、みたいな。

 

あんまり、その、赤面症になってしまうとかなんだっていうことが、なんだろう、思い出したくない記憶とかっていうことでもないんだけどね。俺の記憶はあんまり無いんだよね。でも、苦しかったんだろうなあっていう感じ。

 

いまでも地元の仲間と仲いいし、学校大好きだったけど、一回だけ、なんかそういう時期があったみたいで。

 

でね、小学校で、国語の教科書を読まされるじゃない、かぎカッコを、全部、じいさんだったら、じいさんの声で読んだり、ばあさんだったら、ばあさんの声で読んだりっていうのをやったら、みんなに、どっかんどっかん受けたの(笑)

 

喜納:(笑)。

 

そっから、笑われるのは恥ずかしいけど、笑わせて注目を上げるってことで、そこで解放されて変わっていったっていうのはあるんだよね、俺は。

 

今もやっぱり、根本的な、こう、キュっと差し込まれ感っていうのはあるし、実は克服なんかしてないっていうのはある。

でも、それよりも、バーンって受け入れられたときに、俺の、その芝居によって、人が泣いたり笑ったりしてくれることのほうが、よっぽど喜びが強いっていうところなだけで、生きているなあって思うけどね(笑)。

 

喜納:へえー。

 

小林:意外とそういうことが(笑)。

だから、まあ、親は心配したらしいですけどね、そのときはね。で、そんな中で、表現することで救われたような。

 

喜納:まさに表現というものと出会ってなかったら。

 

小林:出会ったからだよね。

 

喜納:僕はもうこういう仕事だから、出会ってなかったらのほうを想像してみちゃう。

 

小林:ああ、そうだよね。

 

喜納:赤面症で、こう、どうしていいかわからない、どう表現していいかわからなかった少年が、なんか違うとこで、表現という手段を手に入れて、っていう話ですよ。

 

小林:そうだね。

 

喜納:うん。で、それは、表現というものを、もう、捨てて生きていくのは無理ですよ(笑)。

 

小林:そうだよね(笑)。

 

喜納:他人が言うことじゃないけど、また、赤面症に戻るしかなくなっちゃう。

 

小林:そうなっちゃうもんね。

 

喜納:だから、ある意味、表現していいんだっていうことを手に入れたのかもしれないし。

 

小林:勝ち取った。ま、勝ち取ったって言い方はあれだけどね(笑)ほんと、そうですねえ。

だから、その、いまでもドカーンってなった、あれは憶えているのね。

俺が、じいさんのモノマネ、やらねえじゃん、みんなは(笑)。

よくやったね、いま思うと。

 

喜納:赤面症の少年が、そこに踏み切る瞬間があったんだと思う。

 

小林:笑われるのが、やっぱ怖かった。だから、そこで、チャップリンが出てくるというのは、やっぱり、「人を笑わせているんだ、この人は」って思ったのかもしれないよね。

 

喜納:笑われる恐怖があった。

 

小林:うん、なんか、そう。だったら笑わせればいいんだって思ったんだろうね。

だから、もう、苦しかったと思うよ。

友達とは普通に接してたんだけど、注目を浴びるっていう瞬間に、グゥーってなる。息苦しくなって…そうそうそう、もう一個憶えているのは、俺、そんなに学校行かなくなってた記憶がないんだけど、朝、学校行って、教室に足ポンって片足入れた瞬間に呼吸ができなくなって、ウウーってなって。

 

喜納:パニック障害?

 

小林:なのかな。それで、保健室に行って、で、早退した。その、呼吸ができなくなったのも憶えてる。で、俺はそのぐらいだとしか思っていなかったのが、周りに聞くと「もう行かなくなってたんだよねえ」とかで、「ええーうそー俺が?」みたいになったんだけど。

 

喜納:なんか、どう見られるかっていうのは、結局、日本人共通の呪縛ではあって。

どう見られるっていうのは非常に受身的なことだけど、どう見せるかに変わったんですね。

その受身だったものが、自分の側からアクションを、それこそアクターやって、「笑われる」から「笑わせる」って言ったけど、「どう見られるか」から、「どう見せるか」に変わったとも言えるし。

 

ここの当事者研究会の中で似たような話があって、僕のケースなんだけど。

僕がプライベートのことをみんなに相談する中で、その、当時通ってた道場で、師匠の評価が落ちることを非常に恐れている自分に気づくわけ。師匠にどう思われるか気が気じゃないから、どう振る舞ったらいいかっていうのに縛られていく自分に。

そのときに、メンバーが「評判が落ちるのが怖いなら、評判を落とすようにしたらどうですか」って。逆転の発想。

 

小林:なるほどね、はいはい。

 

喜納:じゃあ、僕はこういうやつですよっていう、その評判を積極的に落としに行けばって、みんなふざけて言うんだけど、あ、それは確かにあるな、と思って。

そうすると、こう、問題の次元が一個上がっちゃうんですよね。

実は、評判落ちたって大したことないんだってことを、自分が積極的に評判を落とすことで安心できるわけですよ。

で、「あ、評判って落ちてもいいんだ。ほんとの自分がバレちゃっても大したことないよ」っていう、その、発想の転換の中で教えられていく経験をして。

だから、いま小林さんの話を聞いていて、それを思い出したんですけど。その、小林さんの赤面症と、僕がどう振る舞っていいか気になってドギマギしているのとは一緒だと。

どう思われるかを恐れているからこそ、積極的に評判を落とすという(笑)。

 

小林:面白い、そうですね。

 

喜納:その、恐怖が無くなるんですよね。だから、なんか、恐怖の対象って思ってたものを、受け身だったものを、むしろ、自分からそこに、なんていうかな、負けにいくというか。でも、「負けにいく」って発想が、もう、すごいポジティブじゃないですか。

 

小林:うん、「負けにいく」ってね(笑)。

 

喜納:負けにいくって。で、そうしたときに、自分のコントロールを取り戻すっていう。どう振る舞うかに捉われている自分が、捉われから解放されるっていう。

 

小林:そう、捉われからの解放なんだよね。

なんか、話してるとどんどん思い出してきたけど…もう、幼稚園から小学1年生くらいまでは、わいわいわい、イエーみたいな、そんな赤面症もないわけで。1年の時の先生も、すごくノリのいい先生で。で、2年に上がるときに、先生たちって、クラス替えの時に、なんか、リーダー的なやつを、こう、順番に選んでいくんだってね。2年の時は女性の先生に変わったんですけど、その先生が、なんか、俺はそんな記憶がないんだけど、「すごい、小林くんにプレッシャーをかけすぎてしまった」って、うちの親に謝ったんだって。俺、2年の、そのときは赤面症になって、学校行けなくなっちゃってたんだけど。

まあ、議長的なことやいろいろやらされてたんだけど、それに応えなきゃいけないのがプレッシャーだったのか、でも、その記憶がないのね、そんなに。

 

ただ、憶えてるのはねえ、「翼は心につけて」っていう、骨肉腫になってしまった少女の映画があって、なんか、普通に生活してて、ポンっと男の子と廊下でぶつかって肩打って、なんか痛いなあってなって、病院へ行ったら骨肉腫で…最後は亡くなってしまうという、映画を見たんだよね、家で。

その、死の恐怖をすごく感じたのよ。それから、唾とか飲めなくなっちゃって。

でもねえ、別に唾を飲んで主人公が骨肉腫になったわけじゃない、たぶん、菌とか、そういうものに対する恐怖だったのかもしれない。

でね、ちょっとね、自分の中で、こう、儀礼的なものつくっちゃって、3回ずつペッペッペッって吐いて。

 

喜納:うんうん。ルーティン?

 

小林:そう、ルーティン的なもの。もう、唾が溜まったらシンクでそれをやらなきゃいけないとか。ほんと、深夜、溜まると起きてやってたから、それを親父が見たときに、「誰にそんなこと言われたんだーっ」みたいになって、「いや、ごめんなさい。自分でつくったルールだから」って(笑)。

で、学校とかでも、もう、意識しちゃったら、やばい、飲み込めないってなって、トイレ行きますって、ベーって吐いたりとか。

だから、その2年生の時にすごい変わったんだな、たぶん。ほんとに窮屈な生き方だった、ギャーって、思ってたのかもねその頃は。

 

でもそれが、唾飲み込んだ記憶もね、ある日、ゴックンって飲んでみようと思ったんだよ(笑)。

もう、なんか、その行為に、たぶんゴールが無かったんだろうね。怖かったんだろうけど。で、飲んでみたんだと思うんだ、たしか。で、ダイジョブだ、みたいな(笑)。

 

喜納:ほんとに、みんな、いろんな生きづらさを持ってるんですけど、根本は、みんな、自分を守りたいっていうところからきてるんですよ。例えば、幻聴が聞こえるとか、あるいは被害妄想にしても、みんな、自分を守りたいという思いから始まってるんだけど、それが、その、現実の効果より生き辛さになってしまう。

それでも恐怖心ってのは強いから、過剰な防御を外せなくて捉われがすごく大きくなってしまう。

 

で、それを取り除くために必要なのは、やっぱり、「安心」だったりするんだけど、安心していいか確認するためには、勇気もやっぱり必要なんですよね。

 

第7回(最終回)に続きます

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小林博●こばやしひろし プロフィール

神奈川県出身。激弾BKYUの看板俳優。

激弾BKYUが2000年に上演した「HAPPY」での客演を経て、2002年「そろそろ月に帰ろうか」で正式メンバーに。多くの作品で主演を務め熱いエネルギーとペーソスあふれる演技で観客を物語へ引きずりこむ。

そんな彼に弾長から与えられたキャッチフレーズは「愛すべき情熱の空回り」。

ちなみに、40歳からスタートした毎日更新されるブログ「から回ってポン!」は今年で10年目である。

現在は舞台を中心にしながら、映画・TV・CFなど、映像の仕事でも活躍中。

激弾BKYUオフィシャルサイト

小林博ブログ「から回ってポン!」

所属オフィスJFCTオフィシャルサイト

 

喜納辰洋●きなたつひろ プロフィール

精神障がい者地域活動支援センター「喫茶ほっと」施設長、NPO法人たかつdeほっと副理事長・事務局長。

沖縄県出身。明治学院大学文学部心理学科をギリギリの成績で卒業後、東京都内の精神障害者施設に勤務するも、職場の方針や人間関係に悩み鬱病・不安神経症を発症し退職。療養期間を経て、2000年より現在の「喫茶ほっと」に勤務し、精神障がい者の相談業務、地域生活支援、心理教育、当事者研究に携わる。

2010年鬱病を再発するも、約2ヶ月の療養後、現職に復帰。

自身の体験も踏まえた当事者支援は、通所するメンバーからも信頼と温かい目で見守られ、支援者と利用者の敷居が見えない「喫茶ほっと」の独特の雰囲気を作っている。

通所メンバーと共に続ける「当事者研究」は、他施設や医療関係者に広がり、現在は講師や出張研究会、製薬会社や病院等との共催研修会も行なっている。

二児の父、趣味は古武道・古武術。

地域活動支援センター「喫茶ほっと」オフィシャルサイト

 

*「喫茶ほっと」は、いろえんぴつプロジェクトのクリエイティブパートナーとして、いろえんぴつプロジェクトのさまざまな企画にご協力いただいています

▶︎「まちの喫茶店がみんなのスコレーになる日 HOT de schole!」

 

 イラスト/たけだいくみ

協力と写真提供/激弾BKYU (撮影/巣山サトル)

     地域活動支援センター「喫茶ほっと」(撮影/大久保雄介)